2011年01月26日

製作者のページー510

私の田舎暮らしはアウトドアライフそのものである。

大寒と言って今が一番寒い時期らしいが私は日中はほとんど外で過ごしている。室内にいると暖房がないと寒くてしょうがないが外ではあまり寒さを感じない。

何故ならやる目的に集中しているから気温のことはあまり気にならない。それと冬の日中は晴れている日が多く太陽が出ていると小春日和のような気温になることもある。ただ風がきつい時は寒さを感じるのでできるだけ体を動かす仕事をする。

トラクターに乗って畑や田んぼを耕していると寒さが身にしみる。何故なら私のトラクターは旧式で運転席はオープンだからオートバイに乗っているようなもので、仕事が楽だと気が散って寒さが気になるのである。最新式のトラクターは乗用車のように暖房が効くのだろうが乗ったことはない。

寒いと思ったら体を動かせばよい。手っ取り早い方法は斧で薪を割ることである。普段は電動の押し切りノコで薪を切るが、寒いと感じたら斧に切り替える。しかし松は割らない方がよい。杉のような素直で性格のよい木は簡単に割れるからよい。しかし松は相当根性が曲がっているらしく木の目が通っていない。節の周りなんかぐちゃぐちゃで何度斧を入れても割れなくて体を暖めるより先に体力を消耗してしまう。

しかし今年はのんびり薪を割っているほど暇はない。やることが多すぎるのである。前にも書いたが鶏糞をただでもらえるルートができたので畑用にダンプ3台分入れた以外に3箇所ある田んぼにも1台づつ入れてもらった。

しかし田んぼは地盤が軟らかなので車は中へ入ってゆくことができない。あぜ道の片隅に下ろしてもらって後は一輪車で田んぼ一面に運ぶしかない。これはかなり体力がいる。一箇所の田んぼに満遍なく肥料を入れるには一輪車だと数百回かかる。

ほぼ丸一日を費やし、やっとの思いで長靴を抜くと内モモがつってしまった。足場の悪い所を往復したので普段使わない筋肉を使ったようだ。

しかし私はつらいと思わない。野良仕事はアウトドアスポーツそのものだと思っているからである。と言うかアウトドアスポーツだと思わないとやってられないからである。



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2011年01月19日

製作者のページー509

この間の日曜日はこちらに移り住んで2度目の積雪があった。

この地域は雪が降らないことで有名なようで、その前日行った理容室の主人が「龍ヶ崎や隣町の江戸埼で雪が降ってもここは降らないんですから」と変な太鼓判を押したばかりである。

雪が降ったと言っても積雪は1〜2センチで年末から年始にかけて日本海側で降り積もっている豪雪に比べれば可愛いものである。

しかし私の場合は大変気がかりなことが一つある。雪でビニールハウスが壊されはしないかと言うことである。と言うのは数日前のテレビのニュースで、ビニールハウスで金柑を栽培していた鹿児島県の農家のビニールハウスが雪の重さで倒壊し、金柑の枝がほとんど折れてしまったと伝えていた。この金柑を育てなおすのには相当な年数がかかるのにと嘆いていた年配の農家の主人の顔がまぶたに焼き付いている。

昨年大変苦労して作った大型のビニールハウスは2連棟になっておりその谷間の部分に雪が積もると雪が下に滑り落ちることができないので雪の荷重が全部ハウスにかかってしまう。何センチの積雪にまで耐えられるのかは専門的知識がないのでよくわからないだけに余計不安がつのるのである。

ビニールハウスの最大の敵は風だとばかり思っていたが2連棟のハウスには雪が一番の大敵である事に初めて気づいた。

理容室の主人の雪予報は見事に外れたが確率からゆけば一番雪の降らない場所で農業をやれる自分は案外運に恵まれた人間なのかもしれない。







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2011年01月12日

製作者のページー508

年が明けてしまった。春の足跡はひたひたと迫ってくる。冬の間やってしまわなければならない仕事がまだ一杯残っている。特に今年と来年は未知の領域と言うか面積の田畑を耕作しなければならないので不安がつきまとう。

しかし私の周りの同年代の友達は日ごとに余裕を増している。同じ週に二度も新年会をやるから東京へ出て来いと言われても困ってしまう。断りやすい方を一つ断って最低の義理を果たす。

関西の幼な友達からは一泊二日の有馬温泉旅行を5月にやるから出席してくれとメールが入る。5月は農繁期真っ盛りだから無理だと言うと、君と会うことを目的として皆で決めた企画だから日にちは君に任せるからと言われると断れなくなってしまう。

同世代の人間と同じような生き方をしていればこんな問題は発生しないのだが、人と同じことをすることがあまり好きではない性格の自分としてはこれからもつきまとう問題なのだろう。

いつだったか怪我の治療で行った病院で年取った男性が知り合いの女性に大きな声で話をしていた。どうも耳が遠いらしく周りの人全部に聞こえるような話方になってしまうようだ。「見ての通りおらはこの年になってもこんなにぴんぴんしてる。だがよー、おらの周りの友達は全部死んでしまったぺょ。長生きしたってちいとも楽しかなかっぺ!」

人とうまく付き合っていてもいつかはこうなる。だからこそ今の友達を大切にしなければならないのかもしれない。

しかし自分のやりたいことを捨てるわけにもゆかない。今年は兎年だが、二兎追うものは一兎をも得ずと言う諺がある。最近は二兎追わないものは一兎をも得ずと言う言い方もあるようだ。








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2011年01月05日

製作者のページー507

年も改まったので本の受け売りだが正月らしい話題を一つ。

高いものの例えに”一富士、二鷹、三ナスビ”と言う言葉がある。一富士はわかるとして二鷹、三ナスビが何故高いかよくわからない。

ナスはタネをまいてから収穫するまでがまちどうしい作物である。発芽から収穫始めまでの日数は早生種で100日、晩生種は130日もかかる。このためナスの初成りはことのほか尊重された。

初ナスビそんなに大切なものであったから ”初なりや先ず是式のささげ物” と言い、その昔は役人へつかう賄ろの品になっていた。是式(これしき)とは役人への ”袖の下” のことである。こんなことでナスビは庶民の口には入らなかった。

そして初ナスビの珍重は早出し競走となった。日本のナスの促成栽培は静岡県の三保で慶長年間に初められたと言う。

慶長16年(1611年)徳川家康が駿府(静岡)に遊んだ時、早出しの初ナスビの高値にびっくりした。(一説によると当時小さなナスビが1個1両で、諸大名の儀式に買い上げられたと言われる。)家康は仰天して「駿府には高いものが三つある」と言った。その高いものと言うのが ”一富士、二鷹(愛鷹山)、三ナスビ” である。その翌年ナスの初物は幕府への献上物となった。

この早出し競走は寛永の頃には駿府から江戸へ出す初ナスビが五月(旧暦)ごろであった。 ”五月雨や酒匂でくさる初ナスビ” と言う句があり、当時走りものは急ぐやら腐るやらで気を使ったものらしい。そしてナスは野菜の促成栽培を後世までリードしてきた。

やがて近世の促成栽培は正月には土佐から初ナスビが出たり台湾からも到来し、とうとう初ナスビは下落した。

あれほどまで貴重な賄ろであった「是式」が「何のこれしき」と軽く見られるようになったのでナスビは大衆化して庶民がふんだんに食べられるようになったと言うのである。





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