2011年02月23日

製作者のページー514

私がよく見るテレビの番組に夢の扉(TBS 毎日曜日 午後6時半より)と言うのがある。一番最近放映されたのが少し面白かったので紹介しよう。

富士山のよく見える山梨県は河口湖のほとりにある自然豊かな森の中にある幼稚園の話。

ここの幼稚園は日本語を一切使わず英語だけで園児を教育している。園児を教えている先生の英語は日本的英語の発音ではないのでこちらもよく聞いていないと聞き取れないほどだ。ところが園児は先生の質問に対して適確に英語で答えている。

初めて入園してきた子供も最初はちんぷんかんぷんのようだが3ヶ月もするとすっかり慣れてちゃんと英語で受け答えができるようになっている。小さい子供は順応力が高いので与えられた環境に直ぐなじむのだろう。反面直ぐ忘れてしまうのも事実である。

幼稚園のオーナーの庄司氏は子供たちが英語を話せることを目的としているのではなく国際社会に通用する人物を育てるのが目的だと語る。

最近ユニクロや楽天のように社内公用語を英語とするところも増えてきているがこの幼稚園には時間割もカリキュラムもない。興味と好奇心があれば一つの出来事から派生的に次から次えと物事が展開していくからだ。

積極性のある人間を育てるシステムはフィンランドの教育システムを取り入れているようだが園児たちの生き生きとした様子が画面いっぱいに映し出されていた。

庄司さんの次なる目標は国際村を作りその中に英語小学校を設立することだと言う。早速県に働きかけるが教育機関は全然話に乗ってこようとはしない。

それなら自力で作って見せると幼稚園に隣接する10人近くの土地所有者と直接交渉し必要な2000坪近くの土地を取得し着々と準備を進めている。

この段になってようやく韓国やフィンランドから協力者や同調者が現れるようになってくるのである。

幼稚園と小学校だけでこの試みが終わるのでは充分ではなく更に次のステップが必要となると思うがこのような試みを起す人が現れたことは評価できる。

それよりももっと違った形で国際人を作るアプローチを試みる人が多数現れなければおかしいのではないだろうか。 

例えば北海道のニセコはスキー場やホテル、コンドミニアムのほとんどを外国人が買い占めてしまい外国人村のようになってしまっていると言う。これを逆に利用して国際村を作ろうと言う発想を何故日本人はしないのだろうか?
posted by メイン通商 at 17:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

製作者のページー513

最近ある週刊誌にソフトバンク社長・孫正義氏についての連載が始まった。私自身孫正義についてはあまり興味がなく彼は中国人だとばかり思っていた。中国の革命家として今は評価の分かれる孫文の印象からそう思っていたのだがこの連載を読み始めて彼が在日韓国人であることを知った。

そして彼の生まれ育った環境が自分が育った地域にもかなり似通っているので興味深かったのである。

孫氏は佐賀県の鳥栖駅に隣接した朝鮮人部落で育っている。この部落では豚を飼い、その匂いのくささをカモフラージュとして裏では密造酒を作って生計を立てていた人が多かったようだ。孫氏の家はパチンコ店や金貸しを始めて早々にこの部落を出たようだが彼の原点がここにあるのは間違いないし彼もこの事実を隠そうとはしない。

私が生まれた場所は滋賀県の大津市で九州とはかけ離れている。しかし朝鮮部落があり豚を飼っているため強烈な匂いを辺りに振りまいていたのは全く同じである。

小学生の頃は紫式部が源氏物語を書いたことで有名な石山寺のある石山と言う地区だったので朝鮮部落の存在についてはほとんど知らなかった。中学が木曽義仲が源義経軍に討ち取られた粟津の田んぼで有名な粟津と言う地区の中学に通うことで事態は一変する。

通学途中の鉄道の線路脇にある朝鮮部落を通るたんびに豚小屋の強烈な臭さをかがされる。ようやく学校へたどり着くとナイフを鎖につなぎそれを振り回し、あたりを威嚇しながら登校してくる目のつり上がった三白眼の朝鮮人に出くわす。この男には後日あるいわくつきの部落に誘い出され顔面に強烈な頭突きを食らわされると言ういやな思いでも今は懐かしい。

在日朝鮮人が皆悪い奴ばかりではなかった。私が部長をつとめるブラスバンドの1年後輩に鄭(てい)と言う子がいた。非常に優秀な子で彼を私の後釜にしようとしていた矢先、彼が自分の故郷である北朝鮮へ帰ると言ってきたのである。

その頃在日朝鮮人会が募集していた「夢の楽園北朝鮮へ帰ろう」とか言う誇張宣伝に誘われ北朝鮮へ帰ってしまったのである。

今の北朝鮮では在日朝鮮人は冷遇されていると聞くが日本に残り在日の名を背負って生き続けるのとどちらが幸せだったのかは自分にはわからない。

 
posted by メイン通商 at 18:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

製作者のページー512

自分の会社の倉庫を茨城県の新利根町に建ててから既に27〜8年近く経っている。この土地を選んだ理由の一つが、近い将来高速道路のインターチェンジが近くにできる。そうすれば東京からのアクセスもよくなり処分する時も土地価格が上がり高く売れるだろうと言う読みがあった。

ところが最寄の圏央道稲敷インターチェンジができたのが2年前、インターチェンジができるまでに25年近くかかっており、終点の成田に通じるまでにはまだ数年かかりそうである。

私は今やっている仕事を近々廃業し農業一筋の生活を送ろうとしているのでこの倉庫は必要なくなる。売るなり貸すなりして小遣の足しにしようとし地元の不動産会社に仲介を依頼して既に2年経過しているがほとんど引き合いがない。知り合いのもう一社も物件を紹介してくれ、東京の有名不動産会社ともリンクを張っているので、東京で物件を探している人も見ることができるはずだが引き合いはほとんどない。

高速道路のインターチェンジ近くにあると言うメリットがほとんど活かされていないようだ。買い手も借りても現れなければ野菜加工工場にでもすればよいかと考えているが今日書こうとしている話題はこのことではない。

圏央道稲敷インターチェンジの隣のインターチェンジが今工事中である。これができれば我が家からも近くなるのでよいことなのだが、倉庫への行き帰りにこの工事がいやでも目につく。

成田寄りの一面田んぼの中の工事はどんどん進みコンクリートの高速道路の橋脚やインターチェンジ用の道路はかなりできてきた。この工事用に大型ダンプが土砂を数え切れないほど運んでくる。

ところが最近東京寄りの方の工事が始まり山をを削りだした。と言うことはこの山を削り取った土砂は又ダンプでどこかへ移動することになるのだろう。何故両方から工事を進め土砂を有効に利用し、ダンプの燃料費を節約しないのだろう。資源とエネルギーの無駄遣いもはなはだしい。

山に植わっていた木も伐採しうず高く積んである。これも無駄にするのはもったいないと思い、この木を薪にしたいから分けてくれないかと頼んでみた。

この仕事を請け負っている会社の責任者は、うちの会社はこの木をパルプ材にして有効利用しますからと断られたが、我が家が薪として使うと100年分ぐらいあったのでもらわなくてよかったと負け惜しみ気味に思っている。

posted by メイン通商 at 18:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

製作者のページー511

今年の1月は私にとって非常につらい月であった。

今自分はある目的のため農業をやることに生き甲斐を見出し、生活の大半をこの仕事に費やしている。しかし時々こう考えたことがある。もし伴侶である家内がいなくても農作物の栽培に力を入れられるだろうかと言うことである。

自分で栽培した作物を料理してくれる人がおり、その野菜をおいしいと言って食べてくれる人がいるから野菜を作っているのである。又どうしても1人では手に負えない仕事を手伝ってくれる人間がいるからやり通せるのだろうと。

もしこのパートナーが居なくなったらやっていられないのではないかと、深く考えたことはないが思っていたことは確かである。

このパートナーが居なくなるのではとの、あまり起こって欲しくない事態に直面したのである。勝手なことばかりしている人間に愛想を尽かし家を出て行ったのならまだあきらめもつく。自業自得なのだから。

そうでない場合が厄介である。取り敢えず自分は今やっている仕事を続けられるかと自問自答することになる。

そこで得た結論は今まで通りこの仕事を続けるである。その理由は今一番の生き甲斐であるものを捨て去ると気持ちにぽっかりと穴が空きしっかり生きてゆくのがつらくなるからである。

TBSテレビの番組で「金スマ」と言うのがある。この番組の中で時々一人農業と言うのを放映する。内容はTBSのディレクターが茨城県の北部で1人で畑を開墾し自給自足の生活を数年にわたって続けている。何故テレビ局のディレクターが農業に専念できるのかは不思議だが悪戦苦闘しながら農作業を続けている。

見ているとほとんど動力の農機具を使っていないから私がやっている農業よりずっと大変である。しかも自炊し、洗濯やその他の雑事を全部こなしている。

私の場合は今まで洗濯機を使ったことが一度もなく掃除機もほとんど動かしたことがない。麺を打つようになってから少しは料理をするようになったがほとんどビギナーである。

しかし独りだと日常の雑事も全部自分でこなさなければならない。その上農作業も一人でやらなければならないとなるとよほどの覚悟がないとやってゆけない。

この悲壮な覚悟をしたにもかかわらず事態は少し改善し、かなりスリムになった伴侶がそばに居る。もしかしたら悪夢を見ていたのかもしれない。

posted by メイン通商 at 17:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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