2011年03月30日

製作者のページー519

前回農民一揆が起こるかもしれないと書いたが農業をやる身にとって少々他人事のような書き方をしたと思っているので自分の意とするところをもう少し述べることにしよう。

そもそも放射能の安全基準値とは何を基準としているのだろうか。茨城県で取れたほうれん草が安全基準値を超えているが1年間食べ続けても人体には影響はないという。

ならば安全基準値は100年食べ続けても安全なものを基準としているのか、いやそれ以上の1000年を基準としているのだろうか。

日本と言う国はハードルを高くすることが好きらしく新薬の認証基準なんか厳しすぎて欧米諸国では認可されているのに日本では認可されないケースがゴロゴロしている。

今更この基準値を見直そうなんて提案していたのではいつのことになるやらわからない。それよりも私が提案したいのは非常事態時の第2基準値を設けてはどうかと言うことである。

今、被災地は未だに食糧や水が充分には行き渡らない地域があると言う。その一方でその県や近くの県で取れた野菜が人体には影響はないが安全基準値を超えているからと言う理由で出荷停止になっている。

これほど不合理なことはないといいたい。出荷停止にした農家には補償を考えていると言う。この金は誰が出すのか。東京電力に押し付けるからいいと考えているのか。国自身が補償するとなると税金でまかなうより他はないが財源は被災地復旧のため枯渇してくるのは目に見えている。

第2基準値を設定しても今の原発事故の状況では人体に影響を与える放射能汚染も充分に考えられる。

しかしそこまで悠長に見守って入られない。私の考えはインターネット上に基準値は超えるが食べても問題ないものを並べて販売する。被災地や原発修理のため危険を犯して働いている人々の苦労を本当に共有する人が購入すればよい。自分のことしか考えないエゴイストにまで買ってもらう必要はない。

その品物を食べるか食べないかは自己責任に任せればよい。


posted by メイン通商 at 13:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月23日

製作者のページー518

福島第一原発の事故はまだまだ予断を許さない状況にあるが過日娘から何度もメールが来た。放射能が危険だから東京へ泊まりに来いというのである。今は忙しいからダメだと断ると、それなら絶対外へ出ないようにと言ってくる。

周りの連中やいろんな情報に影響を受け相当神経質になっているようだ。あまりうるさいので下記のようなメールを打ち返した。

「福島原発は予断を許さない状況まで来ていることは確かだ。しかしまだ大量の放射能漏れが発生しているわけでもなく、東京と同じくらいの距離に住んでいる人間が今から外へ出られない状況なら仕事にならない。九州へのキッチンを製作させている職人たちにお前たちは働け、俺は自宅待機するなんて身勝手なことを言えるはずもない。

又、多くの人が働いてくれているから救援物資も届くしライフラインも保たれる。自分たちだけが助かればよいと言うエゴは見苦しい。もっと大きな気持ちを持つようになってほしい。」

本音は根っからのアウトドア人間が家の中に閉じこもっていられるはずがないからだが、娘からしぶしぶ返事が来た。「外へ出なきゃならないのはわかった。でも、マスクするぐらいはできるでしょう! やってね! マスク!」親の身を案じて言ってくれているのだから「わかった」と答えておいたがマスクまでして身を守りたいとは思わない。

ところで最近のニュースで福島の牛乳と茨城のほうれん草から基準値を超える放射能が検出されたと報じられた。人体に影響を与えるような数値ではないとも報じられたが茨城県知事はすぐさま露地もののほうれん草の市場への出荷は取り止めると発表した。放射能の恐怖におびえる世間を考慮すればこう言わざるを得ないのだろうが、農家にとっては大変な痛手である。

そのうちこの野菜もダメあの野菜もダメと報道されるのだろうが自然災害に痛めつけられ人災に振り回させられる農家はたまったものでない。

そのうちに贅沢言うやつには米や野菜は食わせないと言う農民一揆が勃発するかもしれない。


posted by メイン通商 at 17:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月16日

製作者のページー517

昨年と同じ場所にとうもろこし・スイートコーンを約2000粒撒き保温のためのトンネルのビニールシートを家内と掛けている時に突然大きな揺れが生じた。立っているのが困難になり片膝ついて上を見上げると電線が大きくゆれ今にも振り切れそうである。

この瞬間今までにない大地震で電線が切れたらしばらく停電が続くだろうと自宅に戻ってみると家に中の棚に乗っているものがほとんど崩れ落ちている。

急いでテレビをつけるがやはり停電でつかない。リビングルームの正面にある赤い薪ストーブが片脚土台からはみ出している。情報を取ろうとラジオを探すが今までに使ったことがないので見当たらない。

車ならラジオが聞けると思い乗用車のラジオをつけカーナビのテレビを試してみると写りは悪いが音声はよく聞こえる。ここで初めて岩手・宮城県沖にマグニチュード8.8(後に9と訂正される)の巨大地震が発生したことを知ったのである。ちなみに私の住んでいる地区は震度6弱と言うことを後で知った。

家内はどうしたかと畑に戻ろうとした時、隣家のYさんの娘をともなった家内と出くわす。どこへ行くのだと言うと娘さんが余震の揺れを怖がっているので竹やぶが一番安全だからそちらへ移動するのだと言う。少し遅れてYばあさんが孫娘のブランケットを持って追っかけてきた。どうやら娘さんは病気で会社を休んでいたようだ。

竹やぶへ行く途中我が家の小さい方のビニールハウスの前を通ったので竹やぶよりビニールハウスの方が安全で温かいからと3人を中に入れ又、自宅に戻ってみると停電は復旧しテレビで大津波警報を映し出していた。余震の揺れもすさまじく震度5近くあり家の中にいる方が危険だと言うことを実感する。

いたるところで道路に亀裂と段差が生じ、古い家のかわらが落ち散乱している。その後2日間断水が続き少し不便な思いをしたが津波にさらわれて亡くなった人や家を瞬時にして失った人から比べればましな方である。

福島原発も危機的状況にあり予断を許さないが、多くの方からお見舞いのメールや電話をいただいたことにこの場を借りてお礼を申し上げたい。

posted by メイン通商 at 18:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月09日

製作者のページー516

味についての続きである。

味覚の感じ方は人によってかなり違うようである。味に対して鈍感な人は何を食っても同じで味の違いがわからない。これに対して味に敏感な人はその違いが直ぐに見分けられるし、似たようなものでも微妙な違いも感知できる。

この能力が高い人がワインのソムリエになったりする。ワインはともかくとして数種類の水の味を言い当てることのできる人、米の味の違いを銘柄別、産地別に当てる人がいるのを知るとその舌の構造を知りたくなる。

一般人より抜きん出て能力の優れている人がスポーツや芸術のプロとして活躍するように味の世界でも舌の感覚が抜きん出ている人が料理人として活動するのだという事を思い知らされたのが麻布十番の店での会食であった。

この店のオーナー夫妻が私の家に来た時、雀の餌にしていた、くず米の味をこのオーナーが口に入れて味見したことは以前のこのページに書いた。その理由は私が師匠から聞いた米の青米は普通の白米より甘みがあると説明したからである。

この時横にいた奥さんが「この人この米を口に入れるわよ!」といった時、このオーナーはいつでも自分の舌で味を確かめ脳裏にその味をしまい込んでいることを知った。

そしてこの店で出された料理にプロの料理人の味に対する姿勢を垣間見たような気がする。出された料理の鮎と鯛ご飯以外はほとんど野菜料理であったがその味付けは自然でどちらかというと薄味であった。これは野菜本来のうまみを引き出すためのものであり、生のままの味が火を通すことによってどう変化するかを知り尽くした料理人ならではの味付けであったと私は思っている。

私が作った米の味を一言で言い当てたこの料理人に通用する野菜を育て上げるにはしばらく時間がかかりそうである。
posted by メイン通商 at 18:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月02日

製作者のページー515

3月に入ると野菜を作る人間にとっては本格始動となる。最近農業や野菜のことを書き始めると止まらなくなるが、反面読者は限定され読む人がどんどん減ってゆくのを肌で感じるが、ここは致し方ないこととあきらめ書きたいことを書き続けることにしよう。

昨年のこの時期、正確に言うともう少し早い1月に麻布十番の高級懐石料理店 橘花櫻(きっかろう)のオーナー夫妻が私の農園を見に来てくれた。せっかく知り合いになったのだから何とかこの店で取り上げてくれるような野菜を作ろうと思ったが、このお店がどんな食材を使っているかがわからないと話にならない。

そこで毎年6月頃に息子夫婦が両方の両親を呼んで一席設けてくれるのを利用して今回は麻布十番のこのお店を使ってくれるように頼んでおいた。息子たちは快くこの申し出を受け入れてくれ6月の某日にこの会食は始まったのである。

さてここからが書きにくいのでこの話をこのページに取り上げなかったのだが、料理の味、料理の質について書くにはそれなりの舌と感覚を持ち合わせていないと書くことはかなり難しい。

最近テレビで料理のおいしい店を紹介する番組が氾濫している。これらをのべつ幕無しに見ている自分も自分だが、もっとひどいのがこれらの店を紹介するリポーターと言う連中の存在である。この連中の9割方が「おいしい!」かこれに類するうまいと言う同義語的表現以外に何も伝えないのである。

それも口に入れたか入れないかと言う寸前にこの言葉を発するのである。テレビと言うメディアの性質上ゆっくり味わってから表現できないのは致し方ないとしても芸がなさ過ぎる。

何の食材のどこがどういう風においしいのかを伝えることが何故できないのかとわかったような顔をして批評するのはやさしいが味を見極めるのは本当はかなり難しいことなのである。

このことについて次回もう少し書いてみることにしよう。

ーつづくー
posted by メイン通商 at 18:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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