2011年10月26日

製作者のページー546

米の話である。

今年の米作りは悪戦苦闘であった。

今までの2反部(約600坪)に加えて新しく借りた田んぼ1町部(3000坪)のうちの一部、3反部分だけをテスト的に田植えする予定だったが苗が余分にあったのでもう3反部にも苗を植えた。

ただこれだけの面積(8反部・2400坪)の稲を全部おだ掛けにして天日干しにするのは自分独りでやるのは不可能である。

苗を植える時点では余分に植えた3反部は他の農家がやっているようにコンバインで稲を刈り米乾燥機で米を乾かす普通のやり方をする予定であった。

と言うのは米乾燥機とコンバインは無償で譲り受けるあてがあったのである。1町部もの田んぼを借りたのはこのためである。ただ米乾燥機は高さが4メートルぐらいあり独りでは動かせない。

いつも機械を修理してもらっているMさんに手伝ってもらって設置してある場所からこの乾燥機を取り外し自分の家の倉庫に移動する予定であった。稲刈りから逆算すると7月か8月までには移動する必要がある。

7月になったのでMさんに電話すると、腎臓か肝臓の石を摘出する必要があり入院しなければならないと言う。手術ではなく薬で溶かすので1週間ぐらいで退院できるとの事であった。

病気の人に無理な頼みもしづらいのでできるだけ時間を置いて又電話すると、1個所の石は取れたがもう一箇所あることがわかりもう一度入院しなければならないとの事であった。

師匠に乾燥機の移動のことを話すと遅くとも8月末までに試運転できる状態でないと無理だと言う。Mさんの体調を考えると8月末までに試運転に持ち込むのは難しい。

ここで今年の乾燥機移動は断念した。ではどうするか、昔の友達大勢を呼び集めて手伝ってもらうことも考えたが自分が勝手にのめり込んでいった農業に、困ったからと言って応援を頼むのは自分の性格からしてできないのだ。

ーつづくー

posted by メイン通商 at 17:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月19日

製作者のページー545

先日の日曜日、私の出た学校のホームカミングデーと言うのがあったので東京へ行くことにした。

式典の案内状は現在息子夫婦の家になっている方へ届くので時間や場所がよくわからない。何人かの友達に問い合わせてみると昼間の式典へは出席せず夜のサークルの集まりだけに参加するというのが何人かいたのでそれもありだなと思った。

現在まだ稲刈りも終わっていない所もあるので、これなら午前中稲刈りしてからでも間に合う。

東京へ出るには東京駅行きの高速バス停 水郷潮来駅まで自分の車で行ってそこからバスに乗ると道路が混まなかぎり1時間10分で東京駅に着くことができる。帰りは酒を飲んでいるのでバス停へ運転代行の車を呼ぶのが通常のパターンである。夜東京へ酒を飲みに行く交通費だけで1万円近くかかるが友達付き合いの義理を果たすための必要経費として割り切らざるを得ない。

夜の会合では学校卒業以来数十年ぶりの友達に会えた事や各個人の近況報告を述べる時間を私だけ余分にもらえたこと(最近私の農業の話が長いとブーイングがよく出るためなのだが)でよかったのだがその後がいけない。

帰りの上り中央快速線に乗っていると四ッ谷駅で停まってから電車が動かない。車内放送で荻窪駅で何かがあったとアナウンスしているが周りの若者たちの大きな話し声でよく聞こえない。

時計を見ると午後10時近い。高速バスの最終は10時半である。今年は悪いことは何でもありの年である。最終バス乗り遅れも想定内としておかなければならない。

東京に住んでいる娘に電話して今夜泊めてくれと頼む。明日仕事の人間の家に夜遅くゆきたくはないが背に腹は変えられない。隣のホームの各駅停車が先に動きそうだと皆が移動するのでつられて階段を駆け上がりそちらへ移動すると、なんと今乗っていた快速が動き出したではないか。はらたち紛れに改札にいる社員になぜ適切なアナウンスをしないのだと怒鳴りつけてから思い出した。

この会社は息子の嫁の勤めている会社である。私は使っていないが家族割引カードももらっている身である。

ぎりぎり最終バスに間に合ったが後味の悪い1日であった。

posted by メイン通商 at 17:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

製作者のページー544

子供の頃毎日水泳に行ったということはその当時琵琶湖の水は非常にきれいだったからである。

琵琶湖の水がきれいだったために東洋レーヨン(現東レ)が大津市の石山に工場を作り茨城県や福島県出身の父母がこの会社に勤めるためなれない地に赴任したのである。

両親の茨城なまりや福島なまりの関西弁を変だなと思っていたが子供の自分にはこのゆきさつはわからなかった。

水がきれいな所に精密工場が栄える例では諏訪湖の精工舎が有名だが大人になってから行った諏訪湖の水は濁っていて決してきれいだとは思えなかった。

今時分が住んでいる霞ヶ浦の水がきれいでないのがこの地に住む自分にとって唯一の不満である。

なぜ水がきれいでないといけないのか。それが次の話のテーマである。

冒頭に紹介した「夢の扉」で取り上げられたのはローマ法王が食べた米の話である。

石川県羽咋市に神子原町というのがある。ここは限界集落と言って年寄りばかりが住む地で人口は減少の一途である。そこに高野氏と言う実家がお寺の人が市役所に勤めるようになる。彼は限界集落を何とかよみがえらそうと孤軍奮闘するがまわりは何かと理由をつけ仕事をやらない連中ばかりである。

ただ彼の上司だけがよき理解者で、犯罪以外は何をやってもよいからと仕事を自由にやらせてくれる。

ここで高野氏が目をつけたのが米である。神子原(みこはら)と書くこの地は山間部でよい水に恵まれておいしい米ができる。これを何とか村おこしの材料にしようと奇抜なアイデアを思いつく。

この地の米をアピールするには何がよいか、それは世界最高の人に食べてもらうことだ。世界最高の人とは誰か、それはローマ法王である。そして彼はローマ法王に手紙を出す。日本語の神子原という土地は神の子が宿る土地です。この地で作った最高においしいお米ですから是非食べてみてくださいと。

この手紙を法王自身が読んだのかバチカン市国の大使が読んだのかはわからないが大使が会いたいという。取るものも取り敢えず市長をともなって東京で大使に会い米を手渡す。これがマスコミで紹介され神子原米は一躍超人気米となるのである。

水がきれいでない地区で米を作っている自分は何を売り物にすべきか。無農薬、おだ掛け天日干しだけでは弱い。これにプラスアルファーが必要なのだ。


posted by メイン通商 at 18:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月06日

製作者のページー543

私の好きなテレビ番組「人生の楽園」(毎週土曜日午後6時より テレビ朝日)と「夢の扉」(毎週日曜日 午後6時半より TBSテレビ)の両方で先週興味のある内容が放映されたのでそのことに触れてみたい。

先週の「人生の楽園」の主人公は定年退職後琵琶湖でしじみとりを始めたという内容だったが、その場所が私の生まれ育った場所の直ぐ近くなので大変懐かしく思いながら見ていた。

主人公は私より2歳年が下だが大学を卒業後工業系の会社に勤めていたが生まれ育った地が恋しく琵琶湖から淀川に通ずる瀬田川の河岸に2世帯住宅を建て地元の漁業組合にも入りしじみとりを始める。漁獲量はベテランに比しまだまだだが大変楽しそうである。

しじみの種類は瀬田しじみと言い私も子供の頃よく取って食べた味のよいしじみである。すくい上げたしじみ取り網器に藻がいっぱい絡みつきやりづらそうだったが最近このような藻が大量に発生し、外来種のブラックバスやブルーギルがはびこりはじめ在来種のタナゴや鮒や鮎は影を潜めて琵琶湖の生態系もすっかり崩れてしまったようだ。

主人公は学生時代にボート部に所属し親子3代ボート部で今も奥さんや娘さんたちとボートやカヤックを楽しんでいる。

私はボートには乗らなかったがボートの艇庫がある瀬田川流域を散策するのが好きだった。テレビに映し出される瀬田の唐橋を中心とする風景は私の子供時代の原風景と全く一致する。

一つ残念なのは瀬田の唐橋が焼失した後に木製ではなくコンクリートでできた欄干に変ってしまったことである。昔の橋は木製で風情があり時代劇の撮影がしょっちゅう行われていた。

交通の要所であるので橋そのものは耐久性のあるものにしなければならないのは致し方ないがせめて欄干や橋桁は昔の風情のあるものに戻してもらいたいと未だに思っている。

私の子供の頃は琵琶湖の水は大変きれいで夏休みは1ヶ月毎日水泳に行っていた。大人の登る飛び込み台の一番上から飛び込むのにかなり躊躇し、ようやく飛び込んだら腰から下が反対に曲がりそうになり慌てて体勢を立て直し大怪我するのをまぬかれたことがある。

今も夢の中でこの恐怖の瞬間が現れるがあの高さはどのくらいあったのか気になっていた。テレビで主人公の昔の水泳場の写真がほんの一瞬映し出されたが10メートルは確実にあった。

子供にとっては怖かったはずである。

ーつづくー

posted by メイン通商 at 18:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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