2012年04月04日

製作者のページー567

突然ではあるが今回をもってこのページは終了させていただく。

駄文を書き綴って560回を越してしまったが週1回ペースなので10年以上書いてきたことになる。

書き始めた目的はホームページを主催するいじょう随時更新しないと見に来てくださる方にも失礼になる。更新を手軽に行えるのがこのページだったから書き始めたのである。

このホームページ自身もそろそろ終了の時期かと思っているがいまだたくさんの在庫を抱えているので販売の場としてしばらく続ける必要がある。

日記を書くことが大の苦手の自分がよく続けられたなと思うが必要に迫られると人間はしかたなしにでも動くものらしい。

最近農業にのめりこみもっと若い人が農業をやるべきだと思い、農業をやる上での最低限の知識を得る参考になればと思って自分の経験を書き出した。

私のやり方は積極的に失敗し、その失敗を検証する。そしてそれを改善することで前進すると言うやり方であるが、最近は自然に振り回され失敗談が多すぎる。こんなことをずっと書き続けていても農業に興味のない人には何の面白みもないだろう。

農業の話は別の場所に移して書いてみようとも思っているが取り敢えずこのページは終了する。

長年のご愛読に感謝したい。



posted by メイン通商 at 17:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月28日

製作者のページー566

私の好きなテレビ番組「人生の楽園」(毎週土曜日午後6時より テレビ朝日)で千葉県の神崎町で在来種の大豆を使ってとうふを作っている人のことが約1ヶ月ほど前に放映されていた。

「自然栽培ひとすじに」で有名な木村秋則さんが自分のりんご園を無農薬・無肥料でりんごを育てる時、土地を豊かにするためりんごの木の間にびっしり大豆を植え、大豆の根につく根粒菌の助けを借りて土壌をよくしていることを知り自分も3年ほど前大豆をかなり大量に育ててみたことがある。

しかし結果は芳しくなく収穫は微々たるものであった。大豆の種は農協から取り寄せたものだが品種は覚えていない。鳥に種を食べられたり、種を撒くタイミングがよくなかったのが不作の原因だと思っており再度大豆つくりにチャレンジしようと思いながらそのままになっていた。

アメリカから千葉の飯岡に移り住んできたMがワイフがうなぎを食べたがっているので一緒に”山田”でうなぎを食べないかとメールしてきたのが豆腐の番組が放映されてから2週間ほど後のことだった。

”山田”から神崎町はすぐ近くなので食後にM夫妻と私たち夫婦でこのとうふや”月のとうふ”へ行ってみた。

だが昼食後のためとうふは完売、この番組で一緒に紹介されていた”福ちゃんのパン”も完売であった。テレビの放映からあまり時間が経っていないのでテレビを見た人達が大勢詰め掛けるためだったので致し方ないことだったのだろう。

そして先日の土曜日、再度この店へ行くことにした。店の人が予約も受けていますと言っていたので前日に家内が予約を入れたのだが人気のがんもどきは既に予約一杯で買えないと言う。

取り敢えず予約で買えた木綿豆腐、油揚げ、さしみ湯葉、発酵とうふ等の一部をその夜食べてみたが湯豆腐で食べた木綿豆腐の食感は抜群によく油揚げも独特の甘みがあり人気の店になるだけのものはあると実感した。

店主と話した時、自分も農業に力を入れており在来種の大豆を作ってみようと思っている。よい大豆ができたら使ってくれるかと聞いてみると”ええ、いいですよ”と言ってくれたのでもう一度大豆作りにも挑戦してみようと思っている。

posted by メイン通商 at 17:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月21日

製作者のページー565

最近又地震が多発している。この間も茨城南部か銚子沖で比較的大きな地震があり何人かの方から心配のメールや電話を頂いた。

地震関係当局の見解では昨年3月11日の大地震のとき大きく動いた地殻プレートが何度も動き、安定する位置への落としどころを求める地震のようである。

ところで子供の頃よく聞いた ”地震 雷 火事 おやじ”と言う言葉は怖いものの順位を表している。 

地震が一位なのは衆目の一致するところだろう。特に津波をともなった地震は世界各地で大きな被害を及ぼし死傷者の数は間違いなくダントツである。

2番目の雷は人を驚かす迫力は充分だが災害を及ぼす影響力はこの雷単独では少し弱い。雷から派生する大雨や竜巻、もっと広い意味に解釈し嵐や台風まで含ませると被害を及ぼすほどの怖い災害で言えば二位に位置しても決しておかしくない。

私のように自然を相手に生活しているものにとってはこの風が大の苦手である。昨年の台風では大型ビニールハウスをぺしゃんこにされ春一番の嵐では毎年とうもろこしにかけているビニールのトンネルを吹き飛ばされたり吹き飛ばされそうになっているからだ。

3番目の火事も決して侮れない存在である。最近は消防当局の努力で防火活動もよくなっているので大火事と言うのは少なくなっていると思う。

江戸時代のように屋根が板葺きの家が多かった時は一度火事が発生すると手がつけられなくなり一つの町や都市が全焼すると言うことも多かったようだ。

そう言えば戦時中の大空襲で東京は焼け野原になり、安全だと思って飛び込んだ隅田川にも火の手が周り隅田川に飛び込んだ人もほとんどが焼け死んだと言う話をこの光景を目の当たりにしたと言う私より少し年上の人に直接聞いたことがある。

ところで4番目のおやじは怖いものの例えとしては失格だろう。子供たちやまわりによい顔をしたくなる親ばかりになってしまって厳しいしつけや教育のために雷を落とすおやじがいなくなったからだ。

怖いおやじの話は誰かが語り継いでゆかないとおやじの権威も死滅してしまうだろう。


posted by メイン通商 at 18:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月14日

製作者のページー564

先日の日曜日は大震災からまる一年の日で多くのメディアがこのことを取り上げていた。

1年前のこの日私が何をしていたのかはこのページにも記していたので読み返せば分かることだが、別の方法でもわかるようになっていた。

それは農業日誌に記していたからである。師匠からことあるごとに農業をやるのなら日記をつけろと言われていた。しかし私は日記をつけることが子供の頃から大きらいで小学生の時には夏休みの終わりの8月31日に1ヵ月分の日記をまとめて書いていた記憶しかない。

しかし農業を続けるうちに日誌をつけた方が後々何かと便利だと思うようになり約1年以上前から農業日記をつけるようになった。

と言っても毎日書くのが面倒なので3〜4日分とか1週間分をまとめて書くことが多いのだが3〜4日分ならともかく1週間分は非常に困難がともなう。

昔から記憶力はよい方ではないが最近は特に悪くなっている。昨日のことならともかくそれ以上前のことを思い出すのは苦痛を伴う始末である。

ただ不思議なことに商売に関することは比較的記憶に残っている。長年の習性で脳が訓練されているのだろう。物忘れに起因するクレームが発生することがほとんどないのは幸いなことである。

ところで昨年の3月11日には何をしていたかを日記で見てみると午前中にホームセンターでビニールのトンネルシートとアーチを購入し午後からとうもろこしにトンネルシートを張っている最中に地震に遭遇したことになっている。

天気は晴れとなっているがそんなに天気がよかったと言う記憶がない。午後2時46分と言う時間はこの時期では夕方に近いのであまり暖かく感じなかったのだろう。

そして今年の3月11日は何をしていたかというとやはりとうもろこしのトンネル張りである。去年より若干農作業は早めに推移していることが農業日誌を読み返すことにより判別できる。

日記を書くのは面倒だが、資料としては重宝なものでこれからも書き続けなければと決意を新たにしている。


posted by メイン通商 at 17:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月07日

製作者のページー563

先週自分の怪我の話を書いたが、ついでに書きたかったことがあったが長くなるので取り止めた。このことを今週は少し書き加えたい。

最近、昔読んだと思っていた司馬遼太郎の「竜馬がゆく 回天篇」が書棚にあったのでもう一度読み返してみようと思って読み出した。しかしいくら読み進んでも昔読んだ記憶がよみがえらない。発行された日付は学生時代の頃なのだが昭和51年10月1日第63刷と巻末に出ているので社会人になってから購入し、忙しさにかまけて読まなかったらしい。

この小説の中に勤皇の志士二人が新撰組と出くわし切り合いになった。多勢に無勢で勤皇の志士はかなりの傷を負うが何とか逃げのびることに成功する。この時斬られた傷を医師が縫ったらしいのだが51針も縫ったと書いてある。51針も縫う怪我でよく生延びたなと感心する一方、幕末には既に縫う技術が伝わっていたことを初めて知る。

そう言えば華岡青洲は外科医だったはずだと、有吉佐和子の「華岡青洲の妻」は読んでいないがWikipedia・ウイキペディアで調べてみると幕末より少し前の1835年ぐらいに麻酔手術を行っていたことを知る。

もう一つ書きたかったのは血の話である。よく映画でリアル感を出すために血が噴出すシーンがあるが銃で撃たれた場合、すぐ血が噴出すと言うのはおかしい。心臓に直接あたった場合ならいざ知らず他の箇所ではしばらくしてから血が吹き出てくるものである。

刀で切られた場合でも動脈か静脈をもろに斬り、心拍数の血が送られる瞬間でないと血は少し遅れて出てくるものである。

自分が何度も怪我をした経験から言うのだから間違いないはずだ。そう言えば子供の頃、交通事故で足に大怪我をした。私を轢いたトラックの運転手が病院へ連れて行ってくれるまで足から血が噴出していた。バケツ一杯は大げさとしても洗面器一杯くらいは出たと思うが輸血もしないで手術を受けた。

今なら出血によるショック死と言うニュースをよく聞くので、血は出さないように気をつけたいものだ。


posted by メイン通商 at 17:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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