2012年03月14日

製作者のページー564

先日の日曜日は大震災からまる一年の日で多くのメディアがこのことを取り上げていた。

1年前のこの日私が何をしていたのかはこのページにも記していたので読み返せば分かることだが、別の方法でもわかるようになっていた。

それは農業日誌に記していたからである。師匠からことあるごとに農業をやるのなら日記をつけろと言われていた。しかし私は日記をつけることが子供の頃から大きらいで小学生の時には夏休みの終わりの8月31日に1ヵ月分の日記をまとめて書いていた記憶しかない。

しかし農業を続けるうちに日誌をつけた方が後々何かと便利だと思うようになり約1年以上前から農業日記をつけるようになった。

と言っても毎日書くのが面倒なので3〜4日分とか1週間分をまとめて書くことが多いのだが3〜4日分ならともかく1週間分は非常に困難がともなう。

昔から記憶力はよい方ではないが最近は特に悪くなっている。昨日のことならともかくそれ以上前のことを思い出すのは苦痛を伴う始末である。

ただ不思議なことに商売に関することは比較的記憶に残っている。長年の習性で脳が訓練されているのだろう。物忘れに起因するクレームが発生することがほとんどないのは幸いなことである。

ところで昨年の3月11日には何をしていたかを日記で見てみると午前中にホームセンターでビニールのトンネルシートとアーチを購入し午後からとうもろこしにトンネルシートを張っている最中に地震に遭遇したことになっている。

天気は晴れとなっているがそんなに天気がよかったと言う記憶がない。午後2時46分と言う時間はこの時期では夕方に近いのであまり暖かく感じなかったのだろう。

そして今年の3月11日は何をしていたかというとやはりとうもろこしのトンネル張りである。去年より若干農作業は早めに推移していることが農業日誌を読み返すことにより判別できる。

日記を書くのは面倒だが、資料としては重宝なものでこれからも書き続けなければと決意を新たにしている。


posted by メイン通商 at 17:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月07日

製作者のページー563

先週自分の怪我の話を書いたが、ついでに書きたかったことがあったが長くなるので取り止めた。このことを今週は少し書き加えたい。

最近、昔読んだと思っていた司馬遼太郎の「竜馬がゆく 回天篇」が書棚にあったのでもう一度読み返してみようと思って読み出した。しかしいくら読み進んでも昔読んだ記憶がよみがえらない。発行された日付は学生時代の頃なのだが昭和51年10月1日第63刷と巻末に出ているので社会人になってから購入し、忙しさにかまけて読まなかったらしい。

この小説の中に勤皇の志士二人が新撰組と出くわし切り合いになった。多勢に無勢で勤皇の志士はかなりの傷を負うが何とか逃げのびることに成功する。この時斬られた傷を医師が縫ったらしいのだが51針も縫ったと書いてある。51針も縫う怪我でよく生延びたなと感心する一方、幕末には既に縫う技術が伝わっていたことを初めて知る。

そう言えば華岡青洲は外科医だったはずだと、有吉佐和子の「華岡青洲の妻」は読んでいないがWikipedia・ウイキペディアで調べてみると幕末より少し前の1835年ぐらいに麻酔手術を行っていたことを知る。

もう一つ書きたかったのは血の話である。よく映画でリアル感を出すために血が噴出すシーンがあるが銃で撃たれた場合、すぐ血が噴出すと言うのはおかしい。心臓に直接あたった場合ならいざ知らず他の箇所ではしばらくしてから血が吹き出てくるものである。

刀で切られた場合でも動脈か静脈をもろに斬り、心拍数の血が送られる瞬間でないと血は少し遅れて出てくるものである。

自分が何度も怪我をした経験から言うのだから間違いないはずだ。そう言えば子供の頃、交通事故で足に大怪我をした。私を轢いたトラックの運転手が病院へ連れて行ってくれるまで足から血が噴出していた。バケツ一杯は大げさとしても洗面器一杯くらいは出たと思うが輸血もしないで手術を受けた。

今なら出血によるショック死と言うニュースをよく聞くので、血は出さないように気をつけたいものだ。


posted by メイン通商 at 17:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月29日

製作者のページー562

あまり書きたくない話だが、又やってしまった。やってしまったのは怪我のことである。

先々日の日曜日は天気もよく薪作りには最適の気候なので薪ストーブ用の薪を作り出した。いつもは午前中に終わるのだが少し多めに作ろうとしたため午前中には終わらなかった。

午後一番、2台ある電動の押しのこぎりの小さい方で梅の小枝を切ろうとした時、木にはじかれて押さえていた左手にぶつかった。痛さで最初気づかなかったのだがぶつかったのは小枝だけでなく丸のこの歯にも直接親指があたっていたのである。

親指の第一関節から爪を一部削って指の内側まで切れていた。血がボタボタという感じで流れ落ちてきたので手を心臓より上に上げ家で消毒液を含ませたガーゼで包んでみたが血は止まりそうにない。

自分のかかりつけの病院は緊急指定病院なので自分で電話をした。電話に出た人に傷の状態を伝えると、今日は日曜日のなので医師は耳鼻科の先生しかいないが傷を縫うことぐらいはできますというので自分で車を運転して病院へ行くことにしたがギアシフトは左手でしなければならない。ところがギアが動かないので一度降りて助手席に座って右手で操作したりで苦労した。

病院では少し待たされたが応対に出た医師が傷口を見て「これは縫わないと関節部の傷口がふさがらないので縫いましょう」と看護婦に糸の番手を指示して縫う準備を始めた。医師は手の先なので麻酔が利かないかもしれないなーと独り言をつぶやいている。

確かにあまり麻酔は効いていないみたいで痛みは感じるが傷の痛みの方が優るので我慢はできる。

仰向けに寝かされた状態で手術を受けたので何針縫われたかが分からないので聞いてみると4針とのことだった。耳鼻科の医師でも縫うことができると言うことを知ったのはのは一つの取り得である。

翌日消毒のために本来の外科の医師に見てもらったとき「指を動かすと指の根元に痛みを感じるのですが、、」と言ってレントゲンを取ってもらうと指の根元ではなく親指の先の骨が折れていることが判明した。

指先の骨だからたいしたことはないのだが、これから農作業等で手を動かしすぎて傷口がふさがらないのを恐れて指にあて木をしてくれと頼むと、驚いたことに整形外科に回された。

整形外科の医師はこの病院の院長で人気があるのでいつも混みあっていていつも待たされるため避けたかったのだ。何であて木一つのことでたらいまわしにするのかと不満だったがすぐに看てくれた。

院長に「怪我で何度もこの病院でお世話になってみっともない限りです」と言うと「いいことじゃないですか、それだけ活動されている証なんですから」人をそらさない受け答えがこの院長の人気の秘訣なのだろう。







posted by メイン通商 at 17:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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